文春文庫

黒書院の六兵衛 下

浅田次郎
『黒書院の六兵衛 下』
文藝春秋
2017年1月10日
20250104 年始の移動で完読。300頁と持ち歩きに適していたので六兵衛。年始に寅次郎巡礼で行った小塚原刑場や伝馬町牢屋敷がちょうど出てきて、知識や経験は繋がるもんだなぁと思いました。下巻では益次郎も登場。福地源一郎の江湖新聞のくだりは、よかったです。マスコミには、原点に帰ってもらいたい。前にも書きましたが、今まであまり知らなかった徳川家中の仕組みや御殿の配置に詳しくなった気がします。江戸城跡(皇居東御苑)に行きたくなりました。ここのところ、小説ばかり読んでいるのですが、最後に差し掛かると止まらないです。現実にはあり得ない話でしたが、武士の精神性を六兵衛を通して表現していて面白かったです。わざとではありますが、西郷の薩摩弁は読めませんでした。木戸や大村の長州弁には郷愁を感じました。しばらく大きな移動の予定もないですし、厭離穢土欣求浄土を旗印に天下泰平の世を築いた東照大権現こと家康の続きを読もうかと思っています。

黒書院の六兵衛 上

浅田次郎
『黒書院の六兵衛 上』
文藝春秋
2017年1月10日
20241209 家康の続きとも思ったのですが、浅田次郎になりました。単行本で購入した家康が出張で持ち歩くには不便という理由です。こちらは2012年5月14日〜2013年4月17日に日経朝刊に連載されていたものです。amazonで検索したとき、吉川晃司で映像化されていてビックリしました。当時は字をなぞっただけだったようで、もはや初めて読んだ気持ちです。江戸時代の旗本、御家人がどんな様子だったのか、これを読むまで特に興味がなかったので、とても興味深かったです。江戸の解像度が上がった気がします。呼び方が、お殿様なのか、旦那様なのか、奥様なのか、御新造様なのか、おひいさまはお姫様のことだったのかとか、勉強になりました。260年続いたしきたりというものの意味を考えさせられました。三河以来の直参旗本みたいな世襲や武士としての体裁から、太平の世を築いた家康の不穏分子は作らないという徹底した制度設計に凄みを感じました。『花神』や『世に棲む日日』と同じ時代とは思えない暮らしぶりでした。大金を手にしたら、遊んで使い果たす長州藩士の自由奔放さときたら

世に棲む日日(四)

司馬遼太郎
『世に棲む日日(四)』
文藝春秋
2003年4月10日(新装版)
20241107 読書の秋。勢いあまって完読。功山寺挙兵から四境戦争、そして逝去の巻。革命を成し遂げたほどの人物ではあるものの、父母妻子のことになると、どうにも頭が上がらないところに人間味を感じました。また、「きょうは寅次郎の日だ」「追討という文字はいかぬ。鎮静にせい」「総大将はいかぬ、総奉行にせい」という藩主敬親に魅力を感じました。そして、身分社会における、それぞれの役割について考えさせられました。日本において貴族の本質はあくまでも権威の象徴であり、個人的能力ではない。大名はただそこに存在していることだけが大事で、あとのことはすべて家来がやってくれる、ということに始まる組織における煩瑣な秩序習慣というものについて。思想の段階では抗えなかったその世界が、実現の段階で脆くも崩れていく様は歴史のダイナミズムというものでしょうか。『花神』から続いた計7冊の幕末長州ものもこれで終わりです。「いまから長州男子の肝っ玉をお目にかけます」と言ってみたいもんです。次は何を読もう

世に棲む日日(三)

司馬遼太郎
『世に棲む日日(三)』
文藝春秋
2003年4月10日(新装版)
20241102 内容的に89年の年末時代劇スペシャル「奇兵隊」を思い出しました。個人的には、彦島を譲らなかったこと、四民平等の市民軍を作ったことが、晋作の偉業だと思っています。作中にある政治の喜劇性と悲劇性という表現は、事実は小説よりも奇なりで、実に興味深いです。数年で何回転もする幕末長州は、まさに政治の大舞台で、藩主をおきざりにした政略も戦略も戦術も度外視した暴走の上に、下関戦争があり、さらに2度の長州征伐、そのなかで獄中や追われながらも俗論派を打ち破り、幕軍を退ける回天を遂げた晋作の話は、やはりおもしろいです。現代でもここ数年の衆院選を見ると、鞍替え、暗殺、代替り、定員減、区割変更と政治は何が起こるかわからないと思わされます(山口の話)。それはそうと、「政治的緊張期の日本人集団の自然律」と表現されていた、責任不在にして無理だとわかっていることに空気で突き進む特性は、本当に危ういです。起こるかもしれない未来として、この国に暮らしている限り留意しておくべき事項です。とは言え、思想が命より上位にある生き方、イデオロギーへの殉教性という熱狂には、魅了されるところがあります。松陰のいう「狂」になることも転換期の人材育成としては大事かもしれないと思いました。

世に棲む日日(二)

司馬遼太郎
『世に棲む日日(二)』
文藝春秋
2003年3月10日(新装版)
20241021 小樽出張で完読。松陰編から晋作編に移ります。晋作の行動履歴には知らないものも多く、とんでもない(無茶苦茶な)人だと思いました。まさに「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。」革命の方法論については、これまでの歴史観が少し変わった気がします。対象を大きく捉えることは大事だし、情勢や機運に対するセンスはヒーローに必要な資質ですね。議論より行動が大事なフェーズって、こういうことを言うんだなと思わされました。徳川幕府という統治体制において、徳川家は大名のうちの盟主に過ぎないのもなるほどと思いました。そして、権威(畏怖)という一種の空気によって成立していたわけですが、空気が崩れたときにいかに脆いかということは、今の世でも変わらないなと思ったりします。あと、対外戦争での敗北という現状認識を180度変えなければならない強烈な体験と気づきを早い段階で得られたことは薩長にとって大きかったとつくづく思いました。読んでいて、長州征伐で敗北した幕府軍(幕府歩兵隊を除く)は、数年前の長州そのもののように映りました。前にも書きましたが、山口の県民性に書いてある内容は、司馬遼太郎の本がもとになってるんだと思う箇所が多いです。最後に、私はそうせい候が好みです。私の性格にも合っているはず。

世に棲む日日(一)

司馬遼太郎
『世に棲む日日(一)』
文藝春秋
2003年3月10日(新装版)
20241007 東京出張で完読。吉田松陰と高杉晋作です。長州藩というのは徳川300年の封建制度にあって奇妙なところがあるなと改めて思いました。能力ある若者をいい意味で甘やかす(好きにさせる)ところは「ならぬものはならぬ」というよりは臨機応変さがあってよい雰囲気だと感じました。藩主敬親は、そうせい候と揶揄されますが、人の重用には長けていたと思います。また、保守と革新が、過度な粛清をせずに交互に政権を奪い合っていく様は、二大政党制っぽくて、政治の能動性というか封建打破の原動力たり得た一つの理由な気がしました。まあ粛清でなくても、内乱や戦争等で次々と亡くなっていくわけですが…。封建的な武士にありがちな形式的な忠孝や意地を張って連携しないような頑なな態度より、実を取ったり、実際に動くことが大事としたりする思考は、単純に無頓着な大村益次郎は別としても、原動力の一つだろうと思います。こないだの帰省で松陰記念館に行ったので、ふむふむといったところです。穏やかな人柄を持つことによって気迫を養うことができるという考えは、よいと思いましたし、「狂」の精神に通じる気がしました。女を寄せつけない節操の硬さは、益次郎と同じでした(松陰の話)。続きはいつ読めるかな

大本営参謀の情報戦記

堀栄三
『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』
文春文庫
2015年8月20日(電子版)
20181124 時間のない中でも読めた1冊。30歳で大本営参謀になった堀さんの手記です。読み応えがありました。日本の敗戦を情報戦の視点で書かれています。軍事の問題に限らず、政治、教育、企業活動にも通じる内容だと思います。指導者の戦略の失敗は、戦術や戦闘で取り戻すことは不可能であると述べられています。枝葉と根幹(特殊性と普遍性)を見極めることの大切さ、真の情報を顧みずに一握りの専断で行われる組織の危うさを痛感しました。トップの責任というのは、非常に重いものです。日本では優秀な人材が中心になって動いて、組織はしばしば建前になる例が多いというのは、精神論に傾く日本の組織文化があるように思います。

中国化する日本 増補版 日中「文明衝突」一千年史

與那覇潤
『中国化する日本 増補版 日中「文明衝突」一千年史』
2014年4月10日
文藝春秋
IMG_1072 ↓で読んだ『国家』に通ずるものがあるように感じました。人間の思考とは単純なものです。TVでたまに見かける與那覇さん、発言はいかにも東大卒な雰囲気で、本書もそうなのですが、内容はとても面白かったです。内心違和感のあった部分を、わかりやすく解明されているように感じました。抽象化こそ学者の仕事ですね。最後の宇野さんとの対談にあるのですが「平家・海軍・外務省、都市・リベラル・インテリが負け組になる理由」というのが、本書の内容だと思います。形状記憶合金が入っている「江戸時代化」の日本人気質は、そうは変わりそうにありません。言いようによっては、社会全体でうまくバランスをとっているようにも見えます。ただ、弱肉強食の時代をこのままでどこまで生きていけるのか、なかなか答えは見えてきません。
Archives
記事検索
最新コメント