司馬遼太郎
『世に棲む日日(一)』
文藝春秋
2003年3月10日(新装版)
東京出張で完読。吉田松陰と高杉晋作です。長州藩というのは徳川300年の封建制度にあって奇妙なところがあるなと改めて思いました。能力ある若者をいい意味で甘やかす(好きにさせる)ところは「ならぬものはならぬ」というよりは臨機応変さがあってよい雰囲気だと感じました。藩主敬親は、そうせい候と揶揄されますが、人の重用には長けていたと思います。また、保守と革新が、過度な粛清をせずに交互に政権を奪い合っていく様は、二大政党制っぽくて、政治の能動性というか封建打破の原動力たり得た一つの理由な気がしました。まあ粛清でなくても、内乱や戦争等で次々と亡くなっていくわけですが…。封建的な武士にありがちな形式的な忠孝や意地を張って連携しないような頑なな態度より、実を取ったり、実際に動くことが大事としたりする思考は、単純に無頓着な大村益次郎は別としても、原動力の一つだろうと思います。こないだの帰省で松陰記念館に行ったので、ふむふむといったところです。穏やかな人柄を持つことによって気迫を養うことができるという考えは、よいと思いましたし、「狂」の精神に通じる気がしました。女を寄せつけない節操の硬さは、益次郎と同じでした(松陰の話)。続きはいつ読めるかな
『世に棲む日日(一)』
文藝春秋
2003年3月10日(新装版)
東京出張で完読。吉田松陰と高杉晋作です。長州藩というのは徳川300年の封建制度にあって奇妙なところがあるなと改めて思いました。能力ある若者をいい意味で甘やかす(好きにさせる)ところは「ならぬものはならぬ」というよりは臨機応変さがあってよい雰囲気だと感じました。藩主敬親は、そうせい候と揶揄されますが、人の重用には長けていたと思います。また、保守と革新が、過度な粛清をせずに交互に政権を奪い合っていく様は、二大政党制っぽくて、政治の能動性というか封建打破の原動力たり得た一つの理由な気がしました。まあ粛清でなくても、内乱や戦争等で次々と亡くなっていくわけですが…。封建的な武士にありがちな形式的な忠孝や意地を張って連携しないような頑なな態度より、実を取ったり、実際に動くことが大事としたりする思考は、単純に無頓着な大村益次郎は別としても、原動力の一つだろうと思います。こないだの帰省で松陰記念館に行ったので、ふむふむといったところです。穏やかな人柄を持つことによって気迫を養うことができるという考えは、よいと思いましたし、「狂」の精神に通じる気がしました。女を寄せつけない節操の硬さは、益次郎と同じでした(松陰の話)。続きはいつ読めるかな