司馬遼太郎
『花神(下)』
新潮社
1976年8月30日
帰省往復で完読。昨日、大村神社と鋳銭司郷土館にも行って、高揚しています。下巻は、西郷との対比が興味深かったです。同時に薩長の違いについても頷けました。「薩摩の大提灯、長州の小提灯」と言われるのもわかります。明治2年に襲われた場所は、佐久間象山の遭難と同じ場所のようですが、それが5年しか違わないということに驚きました。第2次長州征伐(1866年)から戊辰終結(1869年)の3年間における歴史的存在感は一等級です。これだけ短期間に事が進んだのが、彼の合理的な指揮によるものであるからこそ、花神ですね。数学的にものを考えるというのは、非政治的な現実論者として、技術屋だなと感じさせられます。その後敗戦に至るまで彼の設計によるものが運用され続けることも頷けます。45歳で亡くなったということで、今まさにその年齢です。いつも思うことですが、あの頃の志士たちの享年を聞くと、自分は何も成し得ていないと思わざるを得ません。萩にも足を伸ばし、遊覧船の船頭さんが、歴史は1/3はそんなことあったかもしれない、1/3は本当、1/3は嘘と言っていましたが、ざっくりそんなところでしょう。あと、山口の魅力はやはり何もないところなのかなと思いました。革命期の思想家(松蔭)、戦略家(晋作)、技術者(蔵六)という視点から、解説で薦められていたので、次は『世に棲む日日』を読もうかな
『花神(下)』
新潮社
1976年8月30日
帰省往復で完読。昨日、大村神社と鋳銭司郷土館にも行って、高揚しています。下巻は、西郷との対比が興味深かったです。同時に薩長の違いについても頷けました。「薩摩の大提灯、長州の小提灯」と言われるのもわかります。明治2年に襲われた場所は、佐久間象山の遭難と同じ場所のようですが、それが5年しか違わないということに驚きました。第2次長州征伐(1866年)から戊辰終結(1869年)の3年間における歴史的存在感は一等級です。これだけ短期間に事が進んだのが、彼の合理的な指揮によるものであるからこそ、花神ですね。数学的にものを考えるというのは、非政治的な現実論者として、技術屋だなと感じさせられます。その後敗戦に至るまで彼の設計によるものが運用され続けることも頷けます。45歳で亡くなったということで、今まさにその年齢です。いつも思うことですが、あの頃の志士たちの享年を聞くと、自分は何も成し得ていないと思わざるを得ません。萩にも足を伸ばし、遊覧船の船頭さんが、歴史は1/3はそんなことあったかもしれない、1/3は本当、1/3は嘘と言っていましたが、ざっくりそんなところでしょう。あと、山口の魅力はやはり何もないところなのかなと思いました。革命期の思想家(松蔭)、戦略家(晋作)、技術者(蔵六)という視点から、解説で薦められていたので、次は『世に棲む日日』を読もうかな