司馬遼太郎
『世に棲む日日(四)』
文藝春秋
2003年4月10日(新装版)
読書の秋。勢いあまって完読。功山寺挙兵から四境戦争、そして逝去の巻。革命を成し遂げたほどの人物ではあるものの、父母妻子のことになると、どうにも頭が上がらないところに人間味を感じました。また、「きょうは寅次郎の日だ」「追討という文字はいかぬ。鎮静にせい」「総大将はいかぬ、総奉行にせい」という藩主敬親に魅力を感じました。そして、身分社会における、それぞれの役割について考えさせられました。日本において貴族の本質はあくまでも権威の象徴であり、個人的能力ではない。大名はただそこに存在していることだけが大事で、あとのことはすべて家来がやってくれる、ということに始まる組織における煩瑣な秩序習慣というものについて。思想の段階では抗えなかったその世界が、実現の段階で脆くも崩れていく様は歴史のダイナミズムというものでしょうか。『花神』から続いた計7冊の幕末長州ものもこれで終わりです。「いまから長州男子の肝っ玉をお目にかけます」と言ってみたいもんです。次は何を読もう
『世に棲む日日(四)』
文藝春秋
2003年4月10日(新装版)
読書の秋。勢いあまって完読。功山寺挙兵から四境戦争、そして逝去の巻。革命を成し遂げたほどの人物ではあるものの、父母妻子のことになると、どうにも頭が上がらないところに人間味を感じました。また、「きょうは寅次郎の日だ」「追討という文字はいかぬ。鎮静にせい」「総大将はいかぬ、総奉行にせい」という藩主敬親に魅力を感じました。そして、身分社会における、それぞれの役割について考えさせられました。日本において貴族の本質はあくまでも権威の象徴であり、個人的能力ではない。大名はただそこに存在していることだけが大事で、あとのことはすべて家来がやってくれる、ということに始まる組織における煩瑣な秩序習慣というものについて。思想の段階では抗えなかったその世界が、実現の段階で脆くも崩れていく様は歴史のダイナミズムというものでしょうか。『花神』から続いた計7冊の幕末長州ものもこれで終わりです。「いまから長州男子の肝っ玉をお目にかけます」と言ってみたいもんです。次は何を読もう