長山靖生
『『論語』でまともな親になる 世渡りよりも人の道』
光文社
2009年12月20日
DSC05583 最近、『論語』の本が多い気がします。昨今の強欲資本主義に対して、道徳を大事にしようというアンチテーゼなのでしょうか。自らを省みるのには、最適の教材です。ちょっと長いですけど、戒めにメモしておきます。「君子固より窮す。(大志を抱いて、自分のことよりも天下万民のことを思い、真実のために尽くそうとしているのだから、君子が物質的に困窮するのは、むしろ当然。)」、「子曰はく、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。(同じく道理を探求しようとしているとしても、昔の学者は、自分を高めたいという内発的な志でそれをしていたのに対して、今の学者は他人から称賛されたいという気持ちから、行っている。)」、「子曰はく、君子は言に訥にして行ひに敏ならんことを欲す。(立派な人間は、言葉は朴訥であってもよく(むしろ口数は控えめを心掛けるべき)、行動は敏捷であろうと努めるもの)」、「子曰はく、古者言をこれ出ださざるは躬の逮ばざるを恥づればなり。(古人が言葉を軽々しく用いなかったのは、自身の行動がそれに及ばないことを恥じる気持ちが強かったため)」、「子曰はく、其の之を言ふや怍ぢざれば、則ち之を為すや難し。(大言することを恥じる気持ちのない人間は(そもそも、それがいかに難しいかを慎重に検討していないので)実行するのは難しい)」、「子曰はく、君子は其の言を恥ぢて、其の行ひを過ごす。(立派な人間は、口先ばかりになりはしないかと恥じて、大言壮語や美辞麗句を控え、実際の行動のほうが少しでも言葉を上回るように努めるもの)」、「子貢君子を問ふ。子曰はく、先づ其の言を行うて而して後之に従ふ。(子貢が君子とはどんな人かを尋ねた。先生は言った。「まずその言わんとすることを実行して見せてから、後でものを言う人である」と。)」