2024年10月

世に棲む日日(二)

司馬遼太郎
『世に棲む日日(二)』
文藝春秋
2003年3月10日(新装版)
20241021 小樽出張で完読。松陰編から晋作編に移ります。晋作の行動履歴には知らないものも多く、とんでもない(無茶苦茶な)人だと思いました。まさに「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。」革命の方法論については、これまでの歴史観が少し変わった気がします。対象を大きく捉えることは大事だし、情勢や機運に対するセンスはヒーローに必要な資質ですね。議論より行動が大事なフェーズって、こういうことを言うんだなと思わされました。徳川幕府という統治体制において、徳川家は大名のうちの盟主に過ぎないのもなるほどと思いました。そして、権威(畏怖)という一種の空気によって成立していたわけですが、空気が崩れたときにいかに脆いかということは、今の世でも変わらないなと思ったりします。あと、対外戦争での敗北という現状認識を180度変えなければならない強烈な体験と気づきを早い段階で得られたことは薩長にとって大きかったとつくづく思いました。読んでいて、長州征伐で敗北した幕府軍(幕府歩兵隊を除く)は、数年前の長州そのもののように映りました。前にも書きましたが、山口の県民性に書いてある内容は、司馬遼太郎の本がもとになってるんだと思う箇所が多いです。最後に、私はそうせい候が好みです。私の性格にも合っているはず。

世に棲む日日(一)

司馬遼太郎
『世に棲む日日(一)』
文藝春秋
2003年3月10日(新装版)
20241007 東京出張で完読。吉田松陰と高杉晋作です。長州藩というのは徳川300年の封建制度にあって奇妙なところがあるなと改めて思いました。能力ある若者をいい意味で甘やかす(好きにさせる)ところは「ならぬものはならぬ」というよりは臨機応変さがあってよい雰囲気だと感じました。藩主敬親は、そうせい候と揶揄されますが、人の重用には長けていたと思います。また、保守と革新が、過度な粛清をせずに交互に政権を奪い合っていく様は、二大政党制っぽくて、政治の能動性というか封建打破の原動力たり得た一つの理由な気がしました。まあ粛清でなくても、内乱や戦争等で次々と亡くなっていくわけですが…。封建的な武士にありがちな形式的な忠孝や意地を張って連携しないような頑なな態度より、実を取ったり、実際に動くことが大事としたりする思考は、単純に無頓着な大村益次郎は別としても、原動力の一つだろうと思います。こないだの帰省で松陰記念館に行ったので、ふむふむといったところです。穏やかな人柄を持つことによって気迫を養うことができるという考えは、よいと思いましたし、「狂」の精神に通じる気がしました。女を寄せつけない節操の硬さは、益次郎と同じでした(松陰の話)。続きはいつ読めるかな
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