烏谷昌幸
『となりの陰謀論』
講談社
2025年6月20日
すっかりスマホで読まなくなりました。本はやっぱり現物に限る。巷に溢れる陰謀論について、知識を深めてみようかと思い手に取りました。政治の話が多かったですね。アメリカが真っ二つに分かれているように、パラレルワールド化する世界について、陰謀論は誰もが持っているという視点でいろいろ書かれてありました。いつかトランプがいなくなる日は来るが、不名誉(圧力に屈して不正に手を貸すようなこと)は決して消えることはないというチェイニーの言葉は、重いと思いました。陰謀論を信じるなんて(笑)といった感じで嘲笑する風潮もあるわけですが、陰謀論の主張が間違っている点は厳しく批判しつつも、その背景にある民衆の剥奪感を放置すべきではないという主張には、頷けました。現状を変えることができない虚無主義からくる剥奪感は、深刻です。あと、人間にとって嘘とは何か、真実とは何か、政治とは何かを根本から考え直そうとする著者の歩みとあったアーレントの『全体主義の起原』に興味を持ちました。
『となりの陰謀論』
講談社
2025年6月20日
すっかりスマホで読まなくなりました。本はやっぱり現物に限る。巷に溢れる陰謀論について、知識を深めてみようかと思い手に取りました。政治の話が多かったですね。アメリカが真っ二つに分かれているように、パラレルワールド化する世界について、陰謀論は誰もが持っているという視点でいろいろ書かれてありました。いつかトランプがいなくなる日は来るが、不名誉(圧力に屈して不正に手を貸すようなこと)は決して消えることはないというチェイニーの言葉は、重いと思いました。陰謀論を信じるなんて(笑)といった感じで嘲笑する風潮もあるわけですが、陰謀論の主張が間違っている点は厳しく批判しつつも、その背景にある民衆の剥奪感を放置すべきではないという主張には、頷けました。現状を変えることができない虚無主義からくる剥奪感は、深刻です。あと、人間にとって嘘とは何か、真実とは何か、政治とは何かを根本から考え直そうとする著者の歩みとあったアーレントの『全体主義の起原』に興味を持ちました。
ここのところ会計倫理に関心を持っているので、経営倫理関連のテキストとして読んでみました。倫理学の本は、途中で挫折してしまうのですが、本書はすごく読みやすくて、すごくよい内容でした。会計の根本には、信頼の醸成があると疑わない私は、道徳的責任をどこかに置いてきてしまっているような企業行動に違和感があるし、儲けることが存在目的であったとしても、法律を守れば何をしてもいいわけでもないし、「信なくば立たず」だと思っています。ただ、そんな私も功利主義的なところもあり、物事の良し悪しは結構ドライに割り切りがちで、倫理的にどうなのか、微妙なところもあります。本書では、アリストテレスの徳倫理に共感しました。行為の習慣づけであるエトスが大事だと思います。倫理は論じるものではなく実践するものであると心がけていきたいです。
大学近くのブックオフにあったので購入しました。三部作の2作目です。本書は後半がよかったです。第6章 意思決定有用性アプローチの功罪、第8章 無形資産会計論の意義、第9章 会計の終焉と会計学社の責任は、興味関心と一致しているのでテンション上がりました。本書の内容に興味を持ってくれるような学生さん大募集です。こだわりどころを捨てることによって失うものと得るもの、こだわり続けることによって保たれるものと得られないもの、当たり前のことなのですが、感慨深いです。意思決定に有用かどうかを反駁できないようように、論理に無縁な意思決定有用性は、きっと理論的にどうこうということに興味がないのだということがわかります。昨今ののれん然りで、政治的に利用されかねない代物だと、改めて思いました。最近は、数字を使った研究ばかりしているので、規範的というか、記述的というか、理屈をこねくり回したような会計学に、一種の郷愁を覚えます。いいよね。
中途半端なことに三部作の1作目に手を出してしまいました。会計学はカネ勘定のための学問であって、収益の増やし方や費用の減らし方は会計(カネ勘定)の問題ではなく経営(カネ儲け)の問題というのは、世間一般の方にわかってほしいです。私どもは経済活動をどう表現するかを考える世界にいます。とはいうものの、「会計学者がやっていると管理会計論で、経営学者がやっていると経営学」といった曖昧なところもありますし、理論の話で言えば、発生主義会計と言っておきながら、未発生のものも多いし、実現主義なんてもはや現金主義に近いじゃないかとか、貨幣性資産と費用性資産という土台のズレた分類による理論的混乱であるとか、テキストに書いてあり、授業でごもっともな感じで説明している内容でも、少し考えると?なところも多いです。将来の予測や見積りまで拡大している認識について、いったい取引とは何かという視点は面白かったです。ゼミではこんなことをじっくり思量したいですね。
友岡先生の本は16年ぶりのようです。最後に読んだ新書以降、11冊も出されています。学術書になりますが、1冊目の『近代会計制度の成立』は院生の頃に読みました。歴史にふれる〜等も学部の頃に読んだようです。テキスト系も本棚にはあります。読むとおもしろいのですが、長らく触れていませんでした。さて、複式簿記論、資本維持論、利益計算論、会計主体論、、と心躍らせる魅力的な目次で、いつも通り会計学徒以外に本書を楽しく読める読者がいるのかという内容です。私でも難解に感じるので、理解しながら読める人は少ないと思います。でも、おもしろいのでぜひ手に取ってもらいたい1冊です。「行動を変える情報が有用」「複式簿記という制約」「比較可能性」については興味深い考察でした。大御所先生の論稿を引用しながら、チクリと刺していく内容は読みものとしておもしろいですし、巷の説を改めて考える機会として貴重な時間となりました。本書は三部作の完結本とのことですが、前の2冊を読んでいません。
大竹先生の本はいつぶりでしょうか。面白そうだなと思い、ポチりました。前々職から経済学部に所属していることもあって、経済学部で学ぶこととは的なことを話すことが多いこともあり、参考になりました。確かに、経済学というとおカネの話がメインで、どうやったら効率的に稼げるのか、儲かる投資の話が聞けるみたいな感じに捉えられがちです。特に会計学というと、本気で株価が上がる銘柄を教えてくださいと真顔で言われたりするので、困ります。いつも言うのは、本書のとおりで、世の中をよくするにはどうすればよいのかがテーマで、考えることは限りある資源をどう配分するとうまくいくかなのだと。会計については、世の中の経済活動を円滑にするため、争いを避けるために必須なのが会計だということを伝えたいと常々思っています(これが伝わらないんだ)。本書は、行動経済学の紹介的な要素が強めだと思いますが、経済学や研究活動がどういったものなのかを知るためには、コンパクトで読みやすいと思いました。行動経済学は、非常に有用だと感じます。悪用されがちですが
最近よく目にする齋藤ジンさんです。非常に明快で面白かったです。「失われた30年」とは何だったのか、日本の立場を覇権国家の視点から解説されています。ウクライナ、パレスチナ、イランのような昨今の世界情勢は、明らかにこれまでの常識では考えられないステージにあると言って過言ではないと思います。ただ、本書の視点は、今後の情勢は日本にとってプラスに働くというものです。東アジアの最前線として、力が求められていることによるものですが、諸々の抑止力や有事への備えには覚悟が求められる時代だと思います。個人的に、残念でならないのは、新自由主義の敗北というか、市場に任せておけばいい塩梅になるといった、経済主導によってバカげた戦争を起こすようなこともなくなる、という世界観が明らかに弱まっていることです。新自由主義が好きかと言われると、微妙なところですが、為政者の気持ち次第で情勢が動いてしまうような世界線は恐ろしいです。
のれん非償却派の私が通ります。5年近く積読になっていた石川先生の本です。とても楽しく読ませてもらいました。会計好きにはたまらない内容です。併存なりハイブリットな現行会計制度の構造分析や解釈は、20年以上テーマにしているので、合理的で客観的な分析に脱帽です。最近は、規制緩和の名のもとに、合理的な必要性があって設定されている決まり事をなくす動きが後を立ちません(制度疲労を起こしているものは構わないのですが)。一体何のために理論があるのかと憤ることもあります。会計の世界も、理論で説明できない処理が増え続けています。あとがきに、教科書では見えない現代会計とありました。巷のテキストは現行制度第一で、だいたい濁しているので、明確に混在している概念を真正面から整理しようとする意欲的なものはないように思います。授業でも、その辺りは+αで説明していますし、私の中では整理がつかなくなることもしばしば。慧眼とはこういう方のことを言うのだと思います。
新書が続きます。岩尾先生の新刊です。志ある本です。自分だけが良ければいいという価値奪取思考から価値創造思考へというのは、浸透するといいなと思います。奪い合いではなく、創り合い。なぜ、こうも世知辛い世の中になってしまったのでしょう。個人的には、何が善なのかを考えて生きることが大事なのではないかと思っています。「三方よし」で世界は救われるのではないかと結構真剣に考えています。誰から何かを奪うのではなく、価値を生む創造的な仕事は楽しく充実しているものです。本書に「今の時代に本を買って読むということは、精神的余裕とエリートとしての自覚がある方でしょう。」とありました。確かに今時、動画を観ずに本を読む学生は少なそうです。今学生だったら、読めなそう。本書は、「知っているということは、実際にできることだ」を実践することを求めています。普段の学びから知行合一ができているかと言われると自信がないです。
続けて集英社新書です。社会生活の中でなんとなくではあるが常にある違和感や、ホントにこのままでいいのかといった危機感をクリアにしてもらえるので、太田先生の本は好んで読んでいます。ジャニーズ、日大、ビッグモーターに宝塚、そして自民党と、枚挙に遑がない日本の組織不祥事ですが、これらの根底にある組織構造の問題を解明していく内容です。マックス・ウェーバーの支配の三類型は初めて知ったのですが、合法的支配と官僚制型、伝統的支配と伝統墨守型、カリスマ支配と絶対君主型という分類はわかりやすく感じました。あと、いつもの基礎集団と目的集団の話が出てきます。会計系の方の論文も紹介されていました。自ら行動しない、何もしない方が得という消極的利己主義が蔓延している日本社会は、本当に危機的だと思います。組織の一員の場合の私自身がそうであり、運営するときにはその空気に困り果てます。日本人は個人としては優秀なのに組織になるとダメだという話がありますが、空気を読んで動かない姿はそれを物語っています。時代も変わったので、新たな組織の形が必要なのだと思いました。
続けて新書です。新書大賞2025に選ばれた、よく売れている本です。例えに映画『花束みたいな恋をした』の麦と絹が多用されています。社会人になった頃、私も本が読めなくなったと嘆いていました。2006年6月にこのbook diaryが更新できなかったときには、文化的に自分は終わったと思いました。最近はスマホに時間を奪われているなと思うなどしています。本書は、読書と労働の関係を歴史的な観点で紐解いているものです。本を読む時間を確保するためにはどうすればよいか、というものではないです。売れる本や世間の読書観の変遷は、とてもおもろしかったです。世の中っていうのは、いつも流行に沿って動いているものだと再確認したように思います。最終的には、仕事に全力投球のトータル・ワークをやめようという話になります。全身全霊を美談として捉える風潮は、私も危険だと思います。余裕を持つことが大事ですね。
久々の新書です。昔から読解力というものに違和感(よくわからない)があったのですが、本書を読んで、やっぱりそうだよね、と安堵しました。普段からよく読み違いをすることが多いのですが、基本的に読んだ時の最も身近な情報から展開してしまう単語の読み間違いや思い込みということを改めて理解しました。そして、会話でも全く違う理解や解釈をすることも多いです(困っている)。あと、読みにくい、どうしても集中できない、入り込めないという状況も、本書の説明に納得しました。総じて、読み物にしろ何にしろ、違和感は大切にした方がいいと思いました。よくわからないことには、何か理由があるものです。情報が多い世の中ですから、文章に騙されないようにこまめにファクトチェックするクセはつけておくべきですね。あと、理解を促進するための相互説明はいいなと思いました。
読まないといけないものがいっぱいあるのですが、ついつい。琥珀の夢を読み終えました。最後の解説にある「生きること、生活することにおいて何が肝心なのか、人間形成において何が必要なのかをさまざまな状況で問いかけている」という伊集院静っぽさのある小説です。上巻では特に「陰徳」が印象に残りましたが、下巻での共感は、「そんなもん教わってできるもんやおまへん。やりたかったら勝手に己の甲斐性でやんなはれ」という信治郎の姿勢や「失敗して身につくことの方が多い」との座主の言葉でした。最終的には「やってみなはれ」に集約されそうです。我慢強く続けることは、我慢強く待ち続けることでもあるなと思いました。まだ読み返したい小説はあるのですが、読みたい本もたまってきているので、小説は少しお休みしたいと考えています。
専門書を読まないといけないのですが、ついつい。天下 家康伝を読み終えました。著者の火坂さんが、この連載終了後に亡くなられていたことを読み終えた後に知りました。『天地人』を書かれた方ということも。家康には、人質時代、三河一向一揆、三方ヶ原、第六天魔王、伊賀越え、太閤秀吉といった、筆舌に尽くしがたい苦労を重ね、壁を乗り越えるたびに人間としての器を大きくしていく様に魅力を感じます(関ヶ原や大阪の陣の頃の重厚感たるや)。こういった経験が、天下泰平の世を築く礎となったことは間違いないでしょう。信長や秀吉のような最期にならなかったことも、用意周到さを最後まで貫徹させた家康ならではだと思います。まさに大器晩成。鳴くまで待とうホトトギスの印象は揺るがないとして、小説や映画、ドラマで描かれる家康像は様々です。歴史は想像ですから、多くの方がそれぞれの想いで描く家康を多く読むことも大事な気がしました。自分の中で一番しっくりくる家康を探してみたい。
年始の移動で完読。300頁と持ち歩きに適していたので六兵衛。年始に寅次郎巡礼で行った小塚原刑場や伝馬町牢屋敷がちょうど出てきて、知識や経験は繋がるもんだなぁと思いました。下巻では益次郎も登場。福地源一郎の江湖新聞のくだりは、よかったです。マスコミには、原点に帰ってもらいたい。前にも書きましたが、今まであまり知らなかった徳川家中の仕組みや御殿の配置に詳しくなった気がします。江戸城跡(皇居東御苑)に行きたくなりました。ここのところ、小説ばかり読んでいるのですが、最後に差し掛かると止まらないです。現実にはあり得ない話でしたが、武士の精神性を六兵衛を通して表現していて面白かったです。わざとではありますが、西郷の薩摩弁は読めませんでした。木戸や大村の長州弁には郷愁を感じました。しばらく大きな移動の予定もないですし、厭離穢土欣求浄土を旗印に天下泰平の世を築いた東照大権現こと家康の続きを読もうかと思っています。
六兵衛の続きとも思ったのですが、別のものにしました。こちらは2016年7月1日〜2017年9月5日に日経朝刊に連載されていたものです。ちょうど読み始めた頃に、サントリーHDの次期社長にひ孫の鳥井信宏氏が昇格というニュースがありました。昨年亡くなられた伊集院静氏は、高校の先輩にあたるということや、2014年の「マッサン」で扱われていたこともあって、比較的興味をもって読んでいたものと思います。「陰徳」や「嫉妬」の話が出てくると、伊集院静らしい気がしました。ノブレスオブリージュは大事です。最近、倫理について考えることがあるのですが、モラルってどうやって身につけるのでしょう。鳥井信治郎は、どうやって鳥井信治郎になったのか。偉人の話を読んでいると、そういうところがおもしろいとは思うのですが、教育に結びつけるのは難しい。上巻は奉公を終え、独り立ちしたところで、有金を叩いて1等客船に乗るところまでなのですが、お金の使い方が豪快で、長州の維新志士のようだと思いました。
家康の続きとも思ったのですが、浅田次郎になりました。単行本で購入した家康が出張で持ち歩くには不便という理由です。こちらは2012年5月14日〜2013年4月17日に日経朝刊に連載されていたものです。amazonで検索したとき、吉川晃司で映像化されていてビックリしました。当時は字をなぞっただけだったようで、もはや初めて読んだ気持ちです。江戸時代の旗本、御家人がどんな様子だったのか、これを読むまで特に興味がなかったので、とても興味深かったです。江戸の解像度が上がった気がします。呼び方が、お殿様なのか、旦那様なのか、奥様なのか、御新造様なのか、おひいさまはお姫様のことだったのかとか、勉強になりました。260年続いたしきたりというものの意味を考えさせられました。三河以来の直参旗本みたいな世襲や武士としての体裁から、太平の世を築いた家康の不穏分子は作らないという徹底した制度設計に凄みを感じました。『花神』や『世に棲む日日』と同じ時代とは思えない暮らしぶりでした。大金を手にしたら、遊んで使い果たす長州藩士の自由奔放さときたら
司馬遼太郎もしくは幕末モノとも思ったのですが、戦国モノになりました。2013年4月1日〜2014年10月11日に日経夕刊に連載されていたもので、当時読んでいたので2回目なのですが、ほとんど覚えていませんでした。連載当時、家康に興味をもったのですが、そのまま放置して、大河ドラマを観て、いつか家康はきちんと読みたいなと思っていました。「どうする家康」とは全く異なる家康観です。歴史は見る視点が異なると、全く様相が変わることが魅力ですね。いや、歴史に限らずか。あと、歴史は経営につながる、みたいなことが言われますが、偉人の話は生きていくうえで参考になりますし、人の愚かなところや素晴らしさは歴史から学べます。いわゆる教養ってやつです。これまで紙上で読んできた連載モノを読み直してみようかとも思っている今日この頃。とりあえず、下巻も読もうと思います。
読書の秋。勢いあまって完読。功山寺挙兵から四境戦争、そして逝去の巻。革命を成し遂げたほどの人物ではあるものの、父母妻子のことになると、どうにも頭が上がらないところに人間味を感じました。また、「きょうは寅次郎の日だ」「追討という文字はいかぬ。鎮静にせい」「総大将はいかぬ、総奉行にせい」という藩主敬親に魅力を感じました。そして、身分社会における、それぞれの役割について考えさせられました。日本において貴族の本質はあくまでも権威の象徴であり、個人的能力ではない。大名はただそこに存在していることだけが大事で、あとのことはすべて家来がやってくれる、ということに始まる組織における煩瑣な秩序習慣というものについて。思想の段階では抗えなかったその世界が、実現の段階で脆くも崩れていく様は歴史のダイナミズムというものでしょうか。『花神』から続いた計7冊の幕末長州ものもこれで終わりです。「いまから長州男子の肝っ玉をお目にかけます」と言ってみたいもんです。次は何を読もう
内容的に89年の年末時代劇スペシャル「奇兵隊」を思い出しました。個人的には、彦島を譲らなかったこと、四民平等の市民軍を作ったことが、晋作の偉業だと思っています。作中にある政治の喜劇性と悲劇性という表現は、事実は小説よりも奇なりで、実に興味深いです。数年で何回転もする幕末長州は、まさに政治の大舞台で、藩主をおきざりにした政略も戦略も戦術も度外視した暴走の上に、下関戦争があり、さらに2度の長州征伐、そのなかで獄中や追われながらも俗論派を打ち破り、幕軍を退ける回天を遂げた晋作の話は、やはりおもしろいです。現代でもここ数年の衆院選を見ると、鞍替え、暗殺、代替り、定員減、区割変更と政治は何が起こるかわからないと思わされます(山口の話)。それはそうと、「政治的緊張期の日本人集団の自然律」と表現されていた、責任不在にして無理だとわかっていることに空気で突き進む特性は、本当に危ういです。起こるかもしれない未来として、この国に暮らしている限り留意しておくべき事項です。とは言え、思想が命より上位にある生き方、イデオロギーへの殉教性という熱狂には、魅了されるところがあります。松陰のいう「狂」になることも転換期の人材育成としては大事かもしれないと思いました。
小樽出張で完読。松陰編から晋作編に移ります。晋作の行動履歴には知らないものも多く、とんでもない(無茶苦茶な)人だと思いました。まさに「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。」革命の方法論については、これまでの歴史観が少し変わった気がします。対象を大きく捉えることは大事だし、情勢や機運に対するセンスはヒーローに必要な資質ですね。議論より行動が大事なフェーズって、こういうことを言うんだなと思わされました。徳川幕府という統治体制において、徳川家は大名のうちの盟主に過ぎないのもなるほどと思いました。そして、権威(畏怖)という一種の空気によって成立していたわけですが、空気が崩れたときにいかに脆いかということは、今の世でも変わらないなと思ったりします。あと、対外戦争での敗北という現状認識を180度変えなければならない強烈な体験と気づきを早い段階で得られたことは薩長にとって大きかったとつくづく思いました。読んでいて、長州征伐で敗北した幕府軍(幕府歩兵隊を除く)は、数年前の長州そのもののように映りました。前にも書きましたが、山口の県民性に書いてある内容は、司馬遼太郎の本がもとになってるんだと思う箇所が多いです。最後に、私はそうせい候が好みです。私の性格にも合っているはず。
東京出張で完読。吉田松陰と高杉晋作です。長州藩というのは徳川300年の封建制度にあって奇妙なところがあるなと改めて思いました。能力ある若者をいい意味で甘やかす(好きにさせる)ところは「ならぬものはならぬ」というよりは臨機応変さがあってよい雰囲気だと感じました。藩主敬親は、そうせい候と揶揄されますが、人の重用には長けていたと思います。また、保守と革新が、過度な粛清をせずに交互に政権を奪い合っていく様は、二大政党制っぽくて、政治の能動性というか封建打破の原動力たり得た一つの理由な気がしました。まあ粛清でなくても、内乱や戦争等で次々と亡くなっていくわけですが…。封建的な武士にありがちな形式的な忠孝や意地を張って連携しないような頑なな態度より、実を取ったり、実際に動くことが大事としたりする思考は、単純に無頓着な大村益次郎は別としても、原動力の一つだろうと思います。こないだの帰省で松陰記念館に行ったので、ふむふむといったところです。穏やかな人柄を持つことによって気迫を養うことができるという考えは、よいと思いましたし、「狂」の精神に通じる気がしました。女を寄せつけない節操の硬さは、益次郎と同じでした(松陰の話)。続きはいつ読めるかな
帰省往復で完読。昨日、大村神社と鋳銭司郷土館にも行って、高揚しています。下巻は、西郷との対比が興味深かったです。同時に薩長の違いについても頷けました。「薩摩の大提灯、長州の小提灯」と言われるのもわかります。明治2年に襲われた場所は、佐久間象山の遭難と同じ場所のようですが、それが5年しか違わないということに驚きました。第2次長州征伐(1866年)から戊辰終結(1869年)の3年間における歴史的存在感は一等級です。これだけ短期間に事が進んだのが、彼の合理的な指揮によるものであるからこそ、花神ですね。数学的にものを考えるというのは、非政治的な現実論者として、技術屋だなと感じさせられます。その後敗戦に至るまで彼の設計によるものが運用され続けることも頷けます。45歳で亡くなったということで、今まさにその年齢です。いつも思うことですが、あの頃の志士たちの享年を聞くと、自分は何も成し得ていないと思わざるを得ません。萩にも足を伸ばし、遊覧船の船頭さんが、歴史は1/3はそんなことあったかもしれない、1/3は本当、1/3は嘘と言っていましたが、ざっくりそんなところでしょう。あと、山口の魅力はやはり何もないところなのかなと思いました。革命期の思想家(松蔭)、戦略家(晋作)、技術者(蔵六)という視点から、解説で薦められていたので、次は『世に棲む日日』を読もうかな
東京往復で完読。おもしろいです。300年以上続いた幕藩体制を変えた市民革命として見ると、幕末の長州は、封建社会で抑えられていた才能が解放され暴れ回るという、身分制度では到底抑えられない人間のダイナミクスみたいなものが見て取れるようで大変興味深かったです(その熱量たるや)。情念としては強烈なほど長州人意識が強いので、読んでいると久々に小学校の頃の歴史好き少年に戻った気がします。中巻では、朝敵になったときの長州を幕府にも朝廷にも属さない独立公国とする高杉の理屈がおもしろかったのと、よくもまあ消滅せずに耐え抜いたもんだと思いました。そこにはやはり超合理主義の村田蔵六が必要だったのだと思います。とはいえ、人間社会は合理的なだけでは物事は進まず、形式がモノを言う場面も多いです。その辺りの不器用さや、周辺のサポートがまた物語を面白くしています。徳川300年の世は、超合理的に不穏分子を徹底的に排除するシステムを構築し、その人生経験から人間関係にも長けた家康という偉人が築いたものだと思いました。いつの時代も新しい事を成すというのは、実のないしきたりを壊すことに他ならないかもしれません。ただその実をとる冷静さは、ときに冷酷なもので、四境戦争での大島口のような采配はなかなかできないなと思います。下巻は読む時間あるかな(はて)
ようやく手にとった1冊。地元の外れ、長沢池という池の辺りに大村神社があります。この小説の主人公である、村田蔵六こと大村益次郎を祭神とする神社です。地元では吉田松陰や高杉晋作といった志士に人気があります。維新後に長州閥を形成するとともに新しい国家を築いた偉人たちも有名です。そういった歴史的人物と同列にあるはずなのに、ひっそり佇むさまがまた彼のよう。靖国神社の参道に堂々たる銅像がありますが、不思議と地味で目立ちません。司馬遼太郎の小説は、『梟の城』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』といった映画やドラマになったものは観て知っているのですが、読むのは初めてでした。ちなみに『花神』も大河ドラマを観ようとしたことはあるのですが、地味で単調なため、すぐにやめてしいました。さて、前置きが長くなりましたが、思っていたとおり、私にはとても魅力的な人物に映りました。身の処し方や、ナショナリストなところが特に引き込まれました。冷徹で合理的なのに、自分の故郷というものにどうしようもない情念を持っているところに共感したというか、身の処し方については粋を感じるとともに感銘を受けました。地元のことを愛しているけど、好きになれないという下手に絡み合った自分の感情が表現されているようでした。続きはいつ読むのやら。
Xでちらっと見たのをきっかけに購入。8年前にインドに行ったときから、インド熱が冷めません。人々の生きるために生きている感がとても魅力的な国でした。人口が中国を超え世界一、来年あたりに日本のGDPはインドに抜かれるらしい、スナク、ピチャイ、ナデラといったインドにルーツを持った首相やCEOを見ていると、インドの国際的地位は怒涛の勢いで上昇しているという印象を持っていますし、どこで見聞きしたのかモディ首相はリーダーシップがあるらしいといった印象が強いです。そうした特に根拠もない印象論の危険性を訴えているのが本書です。大変興味深く読み進めました。あまり具体的なことには触れませんが、ヒンドゥー至上主義を強力に推し進めているモディ首相の政治手法が、権威主義が民主主義の仮面をかぶっているという表現で解説されています。自国の憲法を蔑ろにして、保障された権利を踏み躙るような行為は厳に慎むべきでしょう。インドがいかにカオスであろうと、そういった民主主義の土台を守れるか、試されている時期と言えそうです。
リアル書籍(電子ではないの意)が続きます。渡邉先生の本です。意思決定有用性批判と小さいからの道徳教育が大事、というお話でした。会計倫理を考えるにあって、個人的には実際の現場で事実とは異なる会計記録をつける場面をどう防ぐかという観点を重視したいと考えています。どんな素晴らしいガバナンス体制をとっていても、最終的には個人の倫理観に依存してしまうと。そして、これをどう育んでいくかというと、教育なんだろうと思います。とは言え、本書にある通り、乳幼児期に受けた家庭での道徳教育が〜となると、正しいけど現実から乖離しているように感じます。では、規制に頼るしかないのかというと、それでは何も変わらないです。難しいタイトルです。終章の表紙にある「事実なるものこそ存在しないのであり、存在するのは解釈だけなのだ」 byニーチェには考えさせられます。社会科学で実証研究が増えるなか、歴史や理論は大事だろうなと思う次第です。要は両方大事なんだが。
國貞先生のシリーズは、検索したら16年前に読んでいました。管理会計編というタイトルに惹かれて読んでみましたが、大変おもしろかったです。管理会計って、なぜか人を寄せ付けない雰囲気があるじゃないですか。重要かつおもしろいはずなのに。原価、予算、C/Fの知識はあるけど、イメージを伴った理解までは、、という方に勧めたいです。会計数値は数字なのですが、その数字の背景をどのくらい具体的にイメージできるかが重要です。想像できないものは単なる数字で終わってしまいます。このあたりをわかりやすく説明されていると思いました。会計はかじっているけど、専門にしていない学部生に読んでもらいたい。複式簿記のシンプルさ、洗練度、使途においてこれに勝るツールはないということも理解してほしいです。あと、すごくドラッカー推しでした。人は他人からの管理が強いほど、やる気を失っていく生き物っていうのは、頷きしかない。
岩尾先生の新刊です。本当に一般向けなので、非常に読みやすかったです。平成生まれでいらっしゃいますが、大御所の大先生が定年後に徒然なるままに書いたエッセイを書籍にしたような雰囲気が漂っています。本書で伝えられている内容は、最後の一文の通りです。「人間とは、価値創造によって共同体全体の幸せを実現する、「経営人」なのである。」世の中の役に立ってなんぼ、というのを忘れて、おかしなことをするから、おかしなことになる。「歴史は登場人物の名前以外は似たような出来事の繰り返し」なんですよね。いつも本来の目的に立ち返って、社会生活を営んでいきたいものです。「部分に気を取られて全体を見失う、短期利益を重視して長期利益を逸する、手段にとらわれて目的を忘れる」私たちの生活場面のいたるところに経営はあります。何かうまくいかないことがあれば、それはうまく経営できていないのだと思います。ぜひ読んでみてください。
圧倒的積読のなかの1冊。『企業会計』の「ひょっとすると役に立つかもしれない会計のはなし」を書籍化したものです。印象論で語られていることを丁寧に根拠を示して否定する、皮肉たっぷりの福井節がとてもおもしろいのですが、いかんせん読み進めるのに集中力がいるので進まない。文章はコンパクトなのですが。誤魔化さずに真実を見つめるために、研究って大事だなって思わされます。個人的には、悪い動機より無知の重要性のところなんかが知的好奇心を揺さぶられました。世間ではモラルがひどく騒がれていますが、角度というか観点が間違っているように思います。何にせよ目的に沿った適切なインセンティブが、自分の描くよりよい世界に繋がると今は考えているし、内的動機が世界を変えていく原動力だと思っています。根源的無知を認識することは大事。最後の実測予測F/Sもよかったです。会計は自由だ!
飛行機で読みました。25歳以降は、リセットボタンを押しながら過ごしているので、興味を持ってポチりました。為末さんは一つ上の同世代で、陸上で100,200mから400m、そして400mHに競技種目を変えていったという共通点があります。読んでみて考え方にも共通点が多いと感じました。そこそこの幸せで安定ならOKとは思わないタイプで、とにかく飽きてしまう。過去を売る(自分の成功をもとに何かを提供する)のは、時間がもったいないと思うし、せっかくやるなら、自分の経験になること、新しいことをやりたいと思ってしまいます。そして、1番の強みは、失うものがないということ(そう思っているところ)。ゼロから出発するのが、ワクワクするんですよね。ただ、人への指導となると、自由と裁量を与えることが最良だと信じているところがあって、そこの合う合わないがかなり難しいなと悩んでるし、徒弟制が向いてないとつくづく思います。贅沢な話、自分で問題設定して、自分で回答するといった、自分で動いていく人間をサポートするのが向いていると思いました。自分の話ばかりになってしまいましたが、中原先生のピボットターンの例えはいいなと思いました。
『日本”式”経営の逆襲』を読んでいなかったので、読みました。新書で読みやすかったです。タイトルは、すでに持っている経営技術(強み)を捨てて、弱みを取り入れる笑えない現状を表現されています。個人的には最後の方のイノベーション自体のマネジメントのシミュレーションがおもしろかったです。こういうのやってみたいと思いました。「予言の自己成就」「信念の自己強化」に嵌ると加速度的に価値創出が高まるのは何となくわかります。日本が文脈に深く依存しているのは、良くも悪くも感があります。なんかよくわからないけど、たぶんそういう空気っていう感じで物事が進んでいる。これを抽象化・論理モデル化していくのが私の職業なのでしょう。あと、支配された空気に弱い。そこに事の真偽は関係ないという。。いい意味で、信念が実質をもたらし、その実質がまた信念を強化するという好循環を作りたいです。
コーポレート・ガバナンスというと、企業統治に関する規制のイメージがあったのですが、企業経営の非効率を排除して、企業価値を高めるメカニズムということでしっかり学習できたように思います。アメリカ、日本、東アジアのガバナンスの特徴について、データや研究成果をもとに説明されている本ですが、本書で筆者が発信したかったのは、90年代以降の日本における不良債権問題は、ガバナンスが効いていなかったメインバンクシステムによって長期化したという研究結果だと思いました。株主との共謀、実態の隠蔽といった銀行の状態をエントレンチメントと表現されていました。組織には、効果的な外部からの規律付けが必要なことがわかります。ガバナンスの問題に限らず、世の中は確実によくなっているのですが、なかなか皆が幸せに暮らせる仕組みとしてうまく設計ができないものです。むずかしい
久々に自己啓発っぽい本です。著者の言っている通り、精神論ではなく「やり方(ハウツー)」を提供している本だと思いました。なりふり構わず頑張れを、きちんと体系化してやることを具体化したものと言えます。そういう具体的な部分は、失敗していいから自分のやりたいようにやりたい気持ちが強い私にとっては刺さりませんでしたが、それ大事!だと思ったのは「自分の設定した夢や目標を変えるのに躊躇がない」「アイデアを温めてはいけない」「学習初期に無駄なルートを大量に試すのが成功に近い」といったところでした。いろいろ書きたいことは山ほどあるのですが、書き始めると止まらなそうなのでやめておきます。誰もわからない将来に対してキャリアプランを立てるより、キャラを作って、その場その場で演じていくのがよいと思います。あと、人生はエイヤっていうのが大事。
やっぱ哲学ですよ。哲学しなきゃ。本心では全くそうは思わないけど、こうするのが最も得な結果に繋がるからやってる、っていう合理的選択ばかりでやるせない世界をどうにかしたいと思う今日この頃。難しい話は置いておいて、おもしろかったと思います。遊びは真剣に行われるもので、真剣に行われるから楽しく、充実感がある。ゆとりとしての遊びは、活動がうまく行われるために不可欠である。ということがこの本で得られた最大の内容だと思います。あまりにも合理的で冷めた世の中には、情熱が必要ですよ。合目的的な活動から逃れること=不真面目ということではないというのも大事な観点です。人間の自由は、必要を越え出たり、目的からはみ出たりするのです。贅沢と不可分。人間らしく生きる喜びと楽しみのある生活をしたいですね。
Xこと元Twitterで目にして、面白そうだと思い、出張前にポチって移動で読みました。昔から思っていたことで、世界のどの地域でも同じような神話があって、漫画やドラマも大まかにはどれも同じで、結局物語って、だいたい登場人物と内容は似通っているというやつ、が主題の本です。著者は高名な神話学者とのこと。ジョージ・ルーカスもこの本でまとめられていることにインスピレーションを受けて、スターウォーズを作ったとか。いろいろな話が出てくるのですが、インドの神話とか、ブッダとか、知っているものが出てくるところは読みやすかったです。あと、オーストラリアの先住民のイニシエーションの話がグロくてちょっと…って感じでした。あと、DBではないのですが「亀仙人」が出てきた。最終的には、神は全部(喜びも怒りも過去も未来も陽も陰も男も女も何もかも)を含んで神ということでした。二元的、相反する組み合わせは、一つ重要な原理ですね。紙の本は久々でしたが、やっぱいいですね。
流行りの本をば。神話は好きです。宗教もそうですが、嘘だと知りつつ、気持ちのよい言葉に、人間の感性は揺さぶられ高揚するものです。人間は自分のことを特別だと思いたいものなのです。戦時の当局(プロパガンダ目的)、企業(儲け目的)、消費者(熱狂目的)の3者のウィンウィンウィンで成立した構図は、そうだよなと思いました。本書では、「原点回帰という罠」「特別な国という罠」「祖先より代々という罠」「世界最古という罠」「ネタがベタになるという罠」という5つの観点で、戦前を考察しています。互いに矛盾している「宿命論」と「努力論」が循環するというのはおもしろいと思いました。情報過多のこの時代、情報を体系的に整理して真偽をしっかり判断する力が大事だと常々思います。おわりににある、この能力を最も培えるのが読書や執筆というのは、その通りだと思います。スマホをスクロールしていても、身につくとは思えない。
スマホ積読の1冊。日本簿記学会の学会賞(2018年度)受賞作です。お恥ずかしながら今読みました。
太田先生積読シリーズです。大分⇔山口にて。コロナのテレワークネタを切り口にした、十八番の承認欲求の考察です。コロナ禍では、授業はオンデマンドやオンラインだったものの、田舎にいたこともあり、毎日出勤して研究室で作業していたので、特にテレワークらしいことはしていませんでした。学会がすべてオンラインだったことが、もっともテレワーク的な体験でした。承認欲求のないドライな仕事であれば、テレワークは目的遂行に特化した利便性のかたまりだと思います。ただ、仕事に付随した様々な刺激を求めるのであれば、それらを削ぎ落とした形が利便性の正体なのでトレードオフの関係にあります。それはそうと、組織における承認を得るために、なにかと滅私奉公する日本社会においては、慣習からの解放であり、その慣習で承認を得ていた人にとっては切ない働き方なのだと思います。GW明けからコロナも5類移行で、いよいよ日常が戻りつつありますが、コロナで本格化したテレワークも、組織文化によっては元に戻りそうな感じです。組織文化によっては。個人的には、裁量労働の世界に戻ってまいりまして、場所や時間にとらわれず仕事ができる環境になったのが、テレワーク云々より大きな変化です。本書にもあるのですが、週5のうち、2日出社、2日在宅、1日はサードプレイスで仕事するくらいが、最も良いのではないかと思いました。「コスモポリタン」と「ローカル」という分類は興味深かったです。日本はもっと「コスモポリタン」が増えるとよいと思います。いろんな選択肢がある世の中がいいですね。
移動ばかりしてるくせに読んでない、、スマホ内で積読状態の太田先生の本を読み進めようと思い手に取りました。本書に書いてある日本人の特徴を絵に描いたような自分。私の場合、とにかく「目立ちたくない」というのがあります。あと、よくあるパターンは、空気を支配する力が強い人がいるやつ。こんなこと思う人はいないよね、という前提から入られると、もう何も言えません。あとは、目立たず、淡々とやり過ごすだけ。どんどん状況が悪化しているのを理解しつつ。本書では、全体の利益と個の利益が調和することを暗黙の前提にしていると説明されていました。そして、世の中の改革と呼ばれる類のものの本末転倒感もすごく気になっています。この空気感でみんなが合理的な選択をするので、本来の目的から外れたところに行き着くやつ。入試対策としての「主体的」活動という、主体的活動の対極にあるような活動や、本気でやろうとしている人はごく一部で圧倒的多数の「総論賛成、各論反対」派に足を引っ張られ、骨抜きに終わるパターンが多過ぎます。世界最低水準のワークエンゲージメントと帰属意識が物語ってるし、「何もしないほうが得」という意識は本当に根深いものがあります。本当に、みんな見せかけ過ぎて何を考えているのか、わからないし、大きな欠点がない平凡なものが評価されがちです。「新人のころは輝いていた目が、1年も経つと曇っていく」し、「能ある鷹は爪を隠す」という処世術を身につけるのは仕方がないことです。それが合理的なのですから。とは言え、「するほうが得」な社会にするためには、意識が変わるちょっとした仕掛けでよいはずなので、そんな前向きな社会になる日がくることを祈念して、今回は終了です。
年末に日記を書いたときに読書量の激減に触れて、せめて飛行機で1冊。と思いスマホに入っていた本書をチョイス。全くの別物としているものの、著者の実体験がベースというのはスゴいです。中学生の頃の私は走ってしかいませんでした。放課後株式会社を設立して、プロモ動画を制作しているくだりで頭によぎったのが“株式会社ガンダム”。「飛べる踊れるエアリアル〜」水星の魔女関係者で本書を読まれた方もいないこともないでしょう。物語(縦書き)もいいのですが、教科書(横書き)部分が経営についてコンパクトにまとまっていてとてもよいです。ただ、解像度が低くて、読みづらかったです(webブラウザ上のebookjapan)。あと、中学生にはやや難しいかな。でも、一人でもビジネスや経営をしたいと思う人が出れば、いいなぁと思いました。
ここのところ、ちょっとした移動が多かったので読めました。『人新世の「資本論」』の批判本です。『人新世〜』が競争と成長の社会に人類の幸福があるのかという批判とすれば、本書は『一九八四年』のような社会に人類の幸福はあるのかと批判している感じでした。ノスタルジーに浸るのはよいのだけど、明らかに世界は進歩していることを忘れてはならないと思わされました。圧倒的に豊かになり便利になっている暮らしを以前の水準に戻すのは嫌ですね。目的を共有することもなく、お互いに知り合うことさえなく全人類の協力を実現できる方法としての資本主義は、やはりすごいシステムだと感心しました。資本主義を支えている会計システム(複式簿記)も然り。全体主義が苦手な私は、基本的人権が保障された自由な社会で過ごしたいです。多様性こそ社会成長の源泉だと思います。一方的な力による現状変更が許されない社会になりますように。
久々に普通の読書をしたような気がします。本書で扱っている内容を一言で表現している言い得て妙なタイトルです。また、非常に巧妙な文章で、唸らせられました。永山則夫という連続殺人犯を媒介にして日本社会を浮き彫りにしていく様は、社会学ってすごいなと思わされるものでした。まなざしの地獄に対比されている「透明な存在」としての少年Aについての解説も興味深かったです。平均値と極限値の間の相互媒介的な関係という分析の視点で、例外においてこそ、かえって一般性が見出しうるというのは勉強になりました。金の卵と呼ばれ、集団就職で東京に降り立った地方青少年たちのことをあまりネガティブに捉えたことがなかったのですが、本書を読むと現実はなかなかに厳しいものだと認識させられました。最近は軽い読み物しかしなくなったので(本書も分量が少ないために選択した)、重厚感のある(精神的に)読書をして世界に対する認識を深めたいですね。
同調圧力の正体とされる「閉鎖性」「同質性」「個人の未分化」は、まさに田舎だな、日本社会だな、いじめの構造に似ているな、と思いました。建前と本音のダブルスタンダードの中で、外面と内面を使い分け、空気を読んで和を乱さないよう周囲に同調する。私自身もそうやって社会生活を過ごしていますし、もっとしっかり自己主張をと言われても、そう簡単なものではありません。ここは日本なのです。コロナ禍で日本社会の特異性が炙り出されたように思います。同質性を崩すためには「異端者」を入れることが有効であり、異端者の力が同調圧力を跳ね返すための「閾値」を超えると空気が一変すると述べられていました。若者を中心に多様性への理解は進んでいるので、多くの集団で同調圧力(違和感)を吹き飛ばせるだけの異端者が増えるといいなぁと思います。ただ、その新しい風でさえ、新たな同調圧力となるのが日本だったりするんですよね。
この後に続く『同調圧力の正体』とともに読んでいて自分はつくづく日本人だなぁと思い知らされる内容でした。日本人がおかしなことをするときは、閉鎖的な組織と濃厚な人間関係(固定した上下関係)の中で共同体に対して忠実に振る舞おうとするときだと思います。そういう香りのする組織には近づかないことです。再発防止に向けて形式を強化するような過度の確認やアカウンタビリティは、逆に上下関係の強化や当事者意識の希薄化を招き、逆効果になるのは実感します。目標やキャリアは周囲からずらして、競合するライバルが少ない職場を選んで就職、転職する方が成功するケースが多いと書いてありましたが、経験的に私もそうだと感じます。レッドオーシャンで勝ち続けるのは本当に大変です。プレッシャー=(認知された期待ー自己効力感)×問題の重要性という式があったのですが、幸い“問題の重要性”部分に鈍感力が発揮されているようで、鬱にならずに生きているように思いました。何にせよ、ほどほどにすることが肝要です。
約1年ぶりです。解析待ちに読みました。購入したきっかけは忘れました。郷に入れば郷に従ってしまう私には、真似できない生き方をされていると思う次第ですが、書かれている内容には同意します。私も世の中は何も完成していないと思うし、違和感を大事にしたいです。どの経験がどんなふうに活きてくるかなんて誰にもわからないと心底思うし、だからこそ周囲の意見に振り回されないことは大事で、大きな意思決定は自分の考えに従うべきでしょう。「こうあるべき」「〜すべき」という考えは、何かと自分らしい人生を遠ざけてしまいがちだと思います。そうは言っても、自分らしさや得意なもの、好きなものがよくわからないと言われそうです。それはいろいろやってみるしかありません。なんでもやってみなければ、わからないことばかりと、今解析を繰り返しながら感じています。食べてみないと好きかどうかわからないものです。
前々から読もうとは思っていたけど、手が出ていなかった1冊。大河ドラマを観ながら、経済や商業を扱っている身でありながら読んでないのは、よろしくないなということで読みました。まさに納得の言葉をいくつか紹介します。「何事も誠実さを基準とする」「人が調子に乗るのはよくない」「極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志を持って進んでいくこと」「信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力は全てに匹敵する」加えて、家康の遺訓もよかったです。孔子を信頼できる点として、奇跡がひとつもない、迷信が何もない、というのは本当にその通りです。唐突ですが「自分がして欲しいことを、人にもしなさい」より「自分がして欲しくないことは、他人にもしない」派です。あと、権利よりも義務が先にくる派です。渋沢栄一のことをあまり知らないのであれば、青天を衝けの予習・復習になると思います。ネタバレも含め。
最近、中野先生の記事や論文を読んでいたので手に取りました。「最先端の研究を一般読者にもわかりやすく」ということですが、会計・ファイナンス・経済の初心者にはさすがに難しいかな、とは思います。結構な数のドッグイヤーになっているので、何を紹介するか迷うところですが、実証研究のいろはや、(くだけた感じの)研究者界隈の話は、この本ならではでおもしろかったです。一般の人からすると、当たり前の話を、難しそうな検証を通して、難しく説明しているように思われかねないですが、私は新しい領域の開拓というのは読んでいてテンションが上がりました。ガチガチの学術書は眠くなるし根気がいるのですが、こういう読みやすい専門書は貴重です。そういう意味では『企業会計』の連載記事はいいですね。Python、ニュートン、数学、5月号からは本書のテーマでの連載も始まりました。いつの間にか、データ解析なしには会計は語れない時代になってしまいました。理屈をこねくり回していた頃が懐かしい。
6,7年前くらいから実証系に移行していかないと、、と思いながら計量を勉強しないとなぁと本を買ったりしてきましたが、手付かずのまま。そうこうしているうちに行動経済学がおもしろそうだと『経済セミナー』なんかをチラ見しているうちに、いつの間にかサラッと読むように手元に置いていた本です。目次よりも索引を見た方が、扱っている内容がわかりやすいです。ざっと読んだ感じでは、プロスペクト理論の価値関数(左右非対称な傾きのS字型の曲線)がキーだと感じました。状況によって差がわかりにくくなる心理、見せ方・言い方で印象が変わることを使用して詐欺師まがいのことをする人たちの手法に通ずるところがありますね。役立つのは、モチベーション管理かな。ナッジに関連づけて、研究テーマ考えるとおもしろくなりそうなんですが、本格的に勉強しないと先に進めませんね。