竹内洋
『学問の下流化』
中央公論新社
2008年10月10日
2.26 著者の読書ノートといった感じの本です(コラムとして多くの読書日記も載っています)。明治以降の学問を巡る様々な人間模様が収められています。あと、日本人の平等感を「不幸の等分化」や「犠牲の平等」であるとか、日本を支えてきたのは庶民のリスペクタビリティ(立派であることの誇り)だとか、いろいろな人が語ったいろいろなことが紹介されていて飽きませんでした。面白かったのは、「秀才」とは、「自分のやっている事をいつも意義があることだと考えて、その虚しさなどということは思いも及ばない人間のこと」という解釈や「科学者に代表される専門家」について、「自分の専門以外の広大な領域について、無知者としてふるまうのではなく、知者のようにふるまう。かくて専門家こそ、たちの悪い大衆だ」という指摘。旧制中学校教師数の2倍に膨れ上がってる大学教員数が「高いとおもっているが低いのは、今の大学教授の教養」と言わせているのか。タイトルも含め、耳の痛い内容が多かったです。